4月17日(日)天気はれくもり雨
打ってきましたよ、3回目ワクチン。
いっぺん感染したから抗体もったいないけど、
医者が「1か月くらいで打つのがベスト」って言うから、
あと地元の集団接種会場が翌日からファイザーに切り替わるってから、
一番効果あるらしいファイザー/ファイザー/モデルナの組み合わせにしたくて、
予約して、午後休もらって、ガラガラな接種会場へ。
副反応を考慮すると金曜夕方に打つのがいいという情報もあって、
何もかも理想的な状況にしたんだけども、
見事に出ました高熱。
自宅療養中の2日連続39℃超えの時は、
解熱剤がよく効いて、昼間は平熱だったりしたけど、
今回は薬飲んでも全然下がらず。
1日じゅう、38.5℃〜39℃で辛かった!
保健所から届いた糧食のおかゆ系レトルト残ってるけど、
それを器に移す気力も出ないから、
ビスケットとポカリスエットでしのぐ。
ちなみに、コロナ感染以降、
ずーっとベスト体重を維持できている。
もともと筋肉質で痩せにくい私には鉄壁の1sがあって、
それを減らすのは並大抵ではないのだが、
マジ食べられない数日間を経て胃が小さくなったのか、
この年にしては食べ過ぎだったのが常識的な食欲となったのか、
きつかった指輪もするっと入るように(笑)。
そして今朝にはあっけないほど平熱に。
とはいえ、体温が乱高下し体力も落ちてるので、
洗濯まつりと掃除、溜まりまくった家計簿記帳、
不用品整理(チラシとか、昔の作品の断捨離)に燃える。
さすがに今日はランニングは止めておこう…。
さて、溜まりに溜まった活動報告、
ようやく2021年に突入。
まだまだコロナ禍で集まれない日々、
いわゆる「掘れてない」このブログほど
面白くないものもないんだけど、仕方ない。
●2021年1月
年明けがラストチャンスとなる竹取りを、
何とかして決行したかったものの、
県外メンバーの参加見送りが相次ぎ、
大人数でせーのでやらないとできない竹取りは
感染拡大が収まらないせいで結局、見送られてしまった。
数年前に切り出して成形した古い竹ヒゴしかないから、
現状、うちの会は掘削ができないことになる。
それは、上総掘りの伝承活動にとってかなりのダメージだ。
この時期、会の一部のメンバーが作ったグループLINEから、
私が意図的に抜けたことで完全に「ハブ」にされ始めていた。
私の知らないところで他のメンバー同士連絡を取り合い、
いろいろなことが決まっていたのだ。
ガラケーでLINEが使えない人が一人でもいる限り、
不公平感があって、コソコソしてるようで嫌悪感があった。
だから公式のメーリングリストでだけ連絡をとり合えばいい、
そう思ってきたのだが、
後から入ってきた年配男性のメンバーから、
悪気はなく、日本語能力が欠落しているだけと分かっていても、
「女らしくない」「自力で何もできない」「何もわかってない」
などといちいち会うたび嫌味を言われながら、貴重な休日を過ごすのは苦痛だった。
小さな子どもがいるママさんからは、
日常のあらゆる連絡がLINEなために、
数百の新着の中で上総掘りの連絡を見落としてしまう、
これまで通りメーリングリストのみでやり取りしたいという意見も。
なおさら、有志のグループLINEには首をかしげるしかなかった。
鶴岡先生から技術を教えてもらうために続けてきたこの活動、
もう私がこれ以上携わる必要はないと、正直、感じ始めていた。
新たに加わったメンバーだけで、どんどん新しいことをやればいい。
私がいることで、居心地悪く思う人がいるのなら、
無理して「ここ」にいることはない。
鶴岡先生が参加できなくなった2020年春から、
すでに私はそう考え始めていた。
けど、結局は使命感に燃えて、
ちばとぴ!タウン「上総掘りチャンネル」や
Twitter、Facebook、ブログを更新し続けた。
ホームページへの問い合わせや、見学希望のメールにも、
上総掘りが広まるためならと、懇切丁寧に応え続けた。
●2021年2月11日(祝)
博物館から、「水のふるさと」の足場やぐらの
ヒゴグルマが落ちて、傾いて横丸太に引っかかっている状態だと連絡あり。
私は毎年この日は取材が入っていて、参加できず。
県内の会員3人で撤去作業。
●2021年5月13日(木)
ちばとぴ!タウン「上総掘りチャンネル」より
「コロナ禍につき、活動お休みが続く上総掘り技術伝承研究会。
高齢あるいは県境をまたいで参加する会員が多いことから、感染拡大を避けて活動を見合わせること1年あまり。
兼ねてから完成後のもらい手探しが続いていた、会員手作りの上総掘り足場模型譲渡式が、袖ケ浦市郷土博物館にてつつましく行われました。

思い起こせば、作り始めたのは実に15年前、2006年の春。
会の発足とほぼ同時期に、会長である鶴岡先生が展示用にいくつも自作していた足場の1/10サイズ模型を、会員それぞれが制作することで、足場の構造に対する理解を深め、掘削技術の向上に努めよう!と始まったのですが…。
会の活動のメインは実際の井戸の掘削活動で、ひとつ現場が始まってしまうと、どうしても模型制作はおあずけに。
現場がない時期や雨天・荒天時、細々と作業を続け、ようやく完成にこぎつけていたのですが、1/10とはいえ60cm×60cm×60cmというサイズは日本の一般的な家屋に置いて飾っておくには結構な大きさです。
制作した本人も「いやちょっとうちに置くには…」とためらい、また運搬するにも、普通乗用車の座席をフルフラットにしても入りきらず、ワゴン車やワンボックスカー必須なのです。

そこへ登場したのが、16年前に開催された「上総掘りサミット」当時から、当会とご縁があった鴨川市のSさん(写真左)。
ご自宅で郷土史研究家として、さまざまな民俗資料を収集されています。
久留里城址資料館学芸員のFさんの仲介で、このたび、会員Yさん作の模型がSさん宅へお嫁入りすることが決まりました。

上総掘りの足場やぐらは、地域や職人ごとに様式が異なり、当会で学んでいる鶴岡方式のものは袖ケ浦市を流れる小櫃川流域で生まれた、足場丸太の本数もわずか17本でより効率的・安全に深井戸が掘れる形状です。
基本的に掘り鉄管などを除いて、すべて土に返るエコな素材だけで構成され、荒縄のみで簡単に少人数で組んだり解体したりできるのが、昔ながらの上総掘り足場やぐらです。

もちろん資材や労力が限られている途上国の現場などでは、現地で入手できる簡易な足場と道具を使って、井戸掘りに成功している団体もたくさんありますが、そこでも上総掘りの技術や原理が生かされています。
当会ではこれからも、伝統的な上総掘りの技術を未来に残す橋渡しとなるべく、身の丈で伝承活動を続けていきたいと考えています。」

この後、それでは解散、となったその時、
件の、私とそりが合わないメンバーからおもむろに、
県内の南房総で知人が浅井戸(つるべ井戸)を掘る予定があり、鶴岡方式で掘りたいので掘り鉄管など資材を博物館から借りる話がまとまっている、と報告があった。
以下、県外在住の信頼できるメンバーに送ったメールより抜粋。
「私が知らないところで、他の会員や博物館職員まで、外堀を固められていたらしい。
館長もいいと言ったし、Mさんの動画撮影も、つるべ井戸を鶴岡方式で掘るとして実施すると聞き、違和感しかなかった。
その現場には、私以外の会員がみんな参加する、コロナで来られない県外組もそこには通う予定だと聞き、耳を疑った。
総会も、足場建ても「集まれないから」保留・中断しているのに、南房総の現場には通うのか。
それなら普通にそではくで活動できるじゃないか。
しかも浅井戸でつるべ式なら、上総掘りで掘る意味はなく、件のメンバーは「鶴岡先生が残した資料をもとに再現する」と言っているが、私もYさんもそういう現場は経験していないし、鶴岡先生から教わってもいない。
なので、会の活動として認めたくない、そして私自身も一切関わりたくない、と告げるのが精一杯だった。
件のメンバーは「あなたは勘違いしている」「考え方が偏っている、お話にならない」という態度。
完全に副会長の私一人が排除された形だった。
そもそも動画撮影を進める気が起きなかったのも、鶴岡先生の手仕事を録画できなければ意味がないと考えていたからだが、それを、会員になる気も、上総掘りの学びに専念する気もない他人の現場で、資料だけ見て鶴岡方式を名乗ってそれを行政の予算で録画するというなら、もうそこに私の存在価値はないし、私がやりたかった、残したかった鶴岡先生の技ではない。
鶴岡先生のことは、誰もどうしようもないことで、誰のせいでもない。
ならどうするのか?会を解散するのか?何かできることがないか、考えることには反対しないが、正直、全てが遅すぎたとしか思えず、テンション上がりようがない。
あと1〜2年、早く博物館のMさんが赴任してきてくれていれば。
全ては過ぎたこと、今更どうしようもないことだが、私の中で上総掘りはもう終わったものとして、失望と空虚の中にいる。
17年間、仕事や家庭をざんざん犠牲にして上総掘りと会の運営と鶴岡先生のサポートに、文字通り尽くしてきた。
でも新しいメンバーの皆さんで、新しいやり方で活動をしたいなら、仕事でなくボランティアな以上、有志の希望でやってもらうしかない。
文化庁に指定された国の重文である技術を、何とか守り抜くことに使命感を感じていたが、鶴岡先生が二度と参加できなくなった今、私とYさんは新たに学ぶことも失い、新たに会を仕切ろうとするメンバーのやり方にはついていけない。
申し訳ないが、件のメンバーの卑怯なやり方にも納得できないし、皆さんがそれについていくというなら、お別れするしかないと思う。
それでも、最古参会員として、逃げるように辞めていくのはあまりにも惨めなので、あえて退会はしない。
ホームページの問い合わせメールも私のアドレスで受ける。
私以外の誰も、一般からの問い合わせに適切に答えられないからだ。
新しい会員の皆さんは、上総掘りの歴史や、重文指定を受けた意味をしっかり考えて、これまでの活動をなかったことにするのではなく、技術を伝承することに努めていただければと思う。
それは楽しいことばかりではなく、義務や責任が伴う面倒な道だが、趣味のサークルではないし、ギャラが発生する仕事でもないという、民俗技術伝承の永遠の課題であり、その解決法も私にはわからない。
件のメンバーは、時間も技術も道具も人脈も持っている人だから、あの人を頭にしてせいぜい会を盛り上げていってほしい。
何か入り用であれば、お声がけくだされば協力はする。
特に博物館とは、私なりに長年の絆があるから、絶縁しようとは思わない。
ただ、今の会には私がいない方がスムーズに、皆さんがやりたいように全てが運ぶのだと、今日、つくづく分かった。
これまでも何度も辞める・辞めないを繰り返し、その度に結局出戻ってきた私だが、それは全て鶴岡先生のためだった。
今の私には、会に残る意味もなくなったので、これが潮時だと思う。
これからも上総掘りをよろしくお願いします。」
…って言いながら、いまだに辞めていない狼中年とは私のことよ。
しょうがないっしょ、あれから国とか文化庁とか出てきちゃって、
本当にちゃんと動画で技術を記録するって言われちゃって、
とにかくその3カ年計画をやり遂げてから辞めても遅くない。
鶴岡先生の技術とスピリッツを遺すためだから、
意地悪や皮肉やくそったれな場面も我慢していこう。
結局、その南房総の現場に会員が通うこともなかったし、
そこを鶴岡方式で掘ることもなかったし、
ましてやそんな現場で会の資材を使うことも、
また博物館で動画撮影をすることもなかった。
当たり前だ。